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「泉小太郎伝説について調べまくる」の資料ページです。
2022年02月20日
泉小太郎 神社 寺 (一覧)
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「泉小太郎伝説について調べまくる」の資料ページです。
泉小太郎にまつわる神社 お寺の一覧です。
目次
穂高神社
田沢神明宮
仁科神明宮
入明寺(甲府)
仏崎観音寺
穂高神社

穂高神社ホームページより
穂高見命を御祭神に仰ぐ穗髙神社は、信州の中心ともいうべき 安曇野市穂高にあります。そして奥宮は穂高連峰の麓の上高地に祀られており、嶺宮は北アルプスの主峰奥穂高岳に祀られています。穂高見命は海神(わたつみ)族の祖神(おやがみ)であり、その後裔(こうえい)である安曇族は北九州方面に栄え主として海運を司り、早くより大陸方面と交流し文化の高い氏族であったようです。醍醐天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式神名帳には名神大社に列せられ古くより信濃における大社として朝廷の崇敬篤く、殖産興業の神と崇められ信濃の国の開発に大功を立てたと伝えられています。
穂高神社には次の像と碑があります。


穂高神社マップ
穂高神社 ホームページ
田沢神明宮

マップ 田沢神明宮

田沢神明宮の由緒には「泉小太郎創建とあります」
(後日報告)
岩舟があります。


『安曇野開拓の祖 日光泉小太郎、神明宮(天照皇大神)の神恩に報いんが為に天の磐舟を造りて献げ置きし処 何時しか石の舟に変ぜり 天文年間 心なき者 此の舟石に穴をうかち砕かんとしたところ神罰に依り其の者俄かに死せりと伝承せらる』
仁科神明宮

国宝 仁科神明宮
日本最古の神明宮造りです。
仁科濫觴記では仁品王によって建てられた仁科神明宮で
そのほかに祀られている神様も仁科濫觴記において言及がありますし、
仁科濫觴記の中に出てくる登場人物が祀られていますので
神代のロマンを直接感じることさえできます。
真偽はともかく、仁科濫觴記を読んだあと、この神明宮に行くと
普段は気にもしない末社さえ愛おしく感じることができるようになります。
また、これは私の仮設に過ぎませんが、
この仁科神明宮のすぐ下を流れる農業用水路は
はるか北の農具川から取水されており
仁科神明宮自体は、仁品王が九頭子とあまのひかる(泉小太郎)に命じた
水利開発プロジェクトの一環の中で作られた社が始まりなのではないかと
考えています。
(後日報告)
仁科神明宮 ホームページ
仁科神明宮 マップ
入明寺(甲府)

入明寺は武田信玄の次男 武田竜宝のお墓のあるお寺です。

武田竜宝は 海野氏を継ぎ 海野竜宝と名乗ります。
泉小太郎との関係は、泉小太郎が創建したといわれている田沢神明宮に
ある岩舟の伝承の
『天文年間 心なき者 此の舟石に穴をうかち砕かんとしたところ神罰に依り其の者俄かに死せりと伝承せらる』
の「心なき者」として推定されます
詳細は 「泉小太郎を調べまくる」をご参照ください
泉小太郎の伝承は信州の中信地区に広範囲にひろがっているものの
中世以前の信仰形態が不明な部分が多いのですが
その理由は武田軍の侵攻によりこの一体の自社仏閣が一度壊滅しまっていることが
要因であったことが判明します。
その一端を担ったのがこの武田竜宝であるといって良いでしょう
入明寺パンフレット


入明寺ホームページ
入明寺マップ
仏崎観音寺
犀龍と泉小太郎がこの地の穴に隠れるという伝承があります。
あくまで自説ですが戦乱期における御神体遷移が江戸時代に伝承化されたものであると考えます。





この周辺で起きた出来事を綴ったものが境内にあり
武田軍の侵攻について書かれています。

泉小太郎が隠れたという洞穴があります。
仏像が安置されているとされています。

仏崎観音寺マップ
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目次
穂高神社
田沢神明宮
仁科神明宮
入明寺(甲府)
仏崎観音寺
穂高神社

穂高神社ホームページより
穂高見命を御祭神に仰ぐ穗髙神社は、信州の中心ともいうべき 安曇野市穂高にあります。そして奥宮は穂高連峰の麓の上高地に祀られており、嶺宮は北アルプスの主峰奥穂高岳に祀られています。穂高見命は海神(わたつみ)族の祖神(おやがみ)であり、その後裔(こうえい)である安曇族は北九州方面に栄え主として海運を司り、早くより大陸方面と交流し文化の高い氏族であったようです。醍醐天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式神名帳には名神大社に列せられ古くより信濃における大社として朝廷の崇敬篤く、殖産興業の神と崇められ信濃の国の開発に大功を立てたと伝えられています。
穂高神社には次の像と碑があります。


穂高神社マップ
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田沢神明宮

マップ 田沢神明宮

田沢神明宮の由緒には「泉小太郎創建とあります」
(後日報告)
岩舟があります。


『安曇野開拓の祖 日光泉小太郎、神明宮(天照皇大神)の神恩に報いんが為に天の磐舟を造りて献げ置きし処 何時しか石の舟に変ぜり 天文年間 心なき者 此の舟石に穴をうかち砕かんとしたところ神罰に依り其の者俄かに死せりと伝承せらる』
仁科神明宮

国宝 仁科神明宮
日本最古の神明宮造りです。
仁科濫觴記では仁品王によって建てられた仁科神明宮で
そのほかに祀られている神様も仁科濫觴記において言及がありますし、
仁科濫觴記の中に出てくる登場人物が祀られていますので
神代のロマンを直接感じることさえできます。
真偽はともかく、仁科濫觴記を読んだあと、この神明宮に行くと
普段は気にもしない末社さえ愛おしく感じることができるようになります。
また、これは私の仮設に過ぎませんが、
この仁科神明宮のすぐ下を流れる農業用水路は
はるか北の農具川から取水されており
仁科神明宮自体は、仁品王が九頭子とあまのひかる(泉小太郎)に命じた
水利開発プロジェクトの一環の中で作られた社が始まりなのではないかと
考えています。
(後日報告)
仁科神明宮 ホームページ
仁科神明宮 マップ
入明寺(甲府)

入明寺は武田信玄の次男 武田竜宝のお墓のあるお寺です。

武田竜宝は 海野氏を継ぎ 海野竜宝と名乗ります。
泉小太郎との関係は、泉小太郎が創建したといわれている田沢神明宮に
ある岩舟の伝承の
『天文年間 心なき者 此の舟石に穴をうかち砕かんとしたところ神罰に依り其の者俄かに死せりと伝承せらる』
の「心なき者」として推定されます
詳細は 「泉小太郎を調べまくる」をご参照ください
泉小太郎の伝承は信州の中信地区に広範囲にひろがっているものの
中世以前の信仰形態が不明な部分が多いのですが
その理由は武田軍の侵攻によりこの一体の自社仏閣が一度壊滅しまっていることが
要因であったことが判明します。
その一端を担ったのがこの武田竜宝であるといって良いでしょう
入明寺パンフレット


入明寺ホームページ
入明寺マップ
仏崎観音寺
犀龍と泉小太郎がこの地の穴に隠れるという伝承があります。
あくまで自説ですが戦乱期における御神体遷移が江戸時代に伝承化されたものであると考えます。





この周辺で起きた出来事を綴ったものが境内にあり
武田軍の侵攻について書かれています。

泉小太郎が隠れたという洞穴があります。
仏像が安置されているとされています。

仏崎観音寺マップ